『湧』<blog magazine> nishitakesi

読み物、情報を発信するWebマガジン

【チベッタン・ヒーリング:梅野泉】No7_水に心を映すとき。

 はじめには、瀧のような激しさのなかにあるが
 なかほどでは、ガンジスの流れのようにゆったりとおだやかに
 終わりには、広大無辺な海となる
 その海で、息子と母の光はひとつに溶けあう

前回はこの4行の詩で終わりました。
ここには行を始めたばかりの心のありようから、次第に悟りの心境へと入っていき、最後には完全な悟りへと至るこころの様相が詠われています。
ところが私たちときたら、一行目の「瀧のような激しさ」からなかなか抜け出せず、二行目の「ガンジスの流れのようにゆったりとおだやかに」なることすら難しいのです。
いやいや、そんなことはない、私は常に穏やかです、とおっしゃる方もおられるでしょう。
私の場合を言うと、瞑想を始めるまでは私は自分をおおむね穏やかな人間と思っていました。ところが、それは表面だけのことだったのです。よくよく心を観察してみると、激しい感情が渦巻いているのが見えてきたのです。社会的、文化的な枠のなかで、そこから外れないように、感情を押し殺したり、隠したりすることが習慣化していたのです。
私はそんな自分がちょっと怖くなって師に尋ねました。「こんなに激しい感情があるのですが、どうすればいいのでしょうか?」と。
「それはよいことだ」と師が言われたので、私は驚きました。つまりそれは、今まで見えてなかったものが見えてきたのはよいことだ、という意味です。「それは、心が鎮まって来た証拠だ」と。瀧の激しい流れの中にいると、瀧が見えない。けれど、そこから出れば瀧が見える。(若い頃は私たちはまさに瀧の中にいるような人生を送っています。)囚われの中にいると、囚われの中にあることにすら気がつきません。怒りの真っただ中では、怒っている自分の心が見えません。心を落ち着けて、身体を落ち着けて、現れてくるものを見ていると、何が見えてくるか? 
自分の「いま・ここ」を見ることから始めます。 何かを見ようとするのでもなく、ただ見えてくるままに見ている、そういう見方を学び、さらに落ち着きを深めてゆきます。すると知らぬ間に、想念の瀧は、おだやかな流れへと変わっている。

f:id:jiyusha:20190618222545j:plain

そしてさらにいつの間にか、心は水の鏡となって、あるがままを映し出すだけとなる。
あるとき、波紋描いてさざ波だつ湖を見て、「美しいですね」と師になにげに申しあげますと「私は波のない静かな湖面を好む」と言われたのです。なるほど!「さざ波だつ」という情緒的な美ではなく、心の悟りの様相を表現した「静かな湖面」に美を見出し、それを私に指し示そうとされている。師はあらゆる機会をとらえて、目に映る自然のときどきの現象をとらえて、悟りの水を私に注ぎ込もうとされていたのです。

唐突ですが、母が好きだった絵があります。赤い屋根の家のそばをゆったりと流れてゆく川が海に流れ込み、空と溶けあっているような絵です。五大元素が調和した世界を感じさせてくれます。

f:id:jiyusha:20190618222023j:plain

晩年ほぼ家で寝たきりとなり、食事時だけ車いすで移動して私の介助で食事をする母でしただが、母の食事のテーブルの目の前に、その絵はありました。母は食べる前にこの絵をジ~と見て、食べてる途中にも何度も目をやり、食べ終わってからも見る、という具合でした。「食欲が出るのよ」とあるとき教えてくれました。食欲がでるとは、とりもなおさず生きる意欲が湧いてくる、ということではないでしょうか・・・96歳にしてなお、寝たきりであっても、母は人生を「楽しい」と言ってました。
外出が叶わず、外の自然に触れる機会もなくなっていった母でしたが・・・・ゆったりとした川の流れと海、それが人生の晩年の落ち着きと穏やかさに重なり、死に際して安心の境地で広大無辺の海へと自らのいのちを溶け込ませていったとするなら、私が五大元素について母にわずかばかり語ったこともあながち無駄ではなかった、とありがたく思えるのです。

(文責及び画像は梅野泉による)

 

チベッタン・ヒーリング―古代ボン教・五大元素の教え

チベッタン・ヒーリング―古代ボン教・五大元素の教え

  • 作者: テンジン・ワンギェルリンポチェ,Tenzin Wangyal Rinpoche,梅野泉
  • 出版社/メーカー: 地湧社
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本
  • 購入: 4人 クリック: 14回
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
 

 次はこちら

www.jiyusha.net

最初はこちら

www.jiyusha.net