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【コウ】スピリチュアルと知性主義_12

私の最初の行き先はインドに決まっていました。このときから既に4年半前、大学一年生の夏休みの2013年7月に、人生ではじめて私はインドを訪れていました。そして一ヶ月半の滞在の終わりが近づいていたとき、私の人生を根底から変えた事件が起こりました。詳細はここには書けませんが、この事件は大げさでなく私という人間の「死」に等しいものとなり、その後の人生を大きく形作ることとなりました。そしてこのときを最後にして、根っからの旅好きだった私はその後に旅行といった旅行をしなくなりました。因縁の土地であるインドほど、私の旅を再びはじめるのに相応しい場所はありませんでした。

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出発前、情報を集めようと、東京の片隅にある旅の本の専門店に私は向かいました。商業的な旅行本が並んでいる店内に軽く落胆していると、棚の上の方に変わった背表紙の雑誌が並んでいるのが目に付きました。それは「風の旅人」という雑誌で、象徴的また文字通りの旅をテーマに、独特なスタイルの写真やエッセイが掲載されていました。パラパラと目を通すと、田口ランディという作家による、ある詩人に関するエッセイのところで手が止まりました。彼の名前は山尾三省。屋久島に移り住んで、アミニズムを詠った詩人です。

詩人が屋久島に移住したきっかけとされる、ある言葉が引用されていました。「神を求めて泣きなさい。そうすればあなたは神に出会うだろう。」背筋にゾクリとした感覚が走り、私はしばらくその場に立ち尽くしていました。「神を求めて泣きなさい。」昔の私であれば読み流していた一言が、そのときにはなぜか心に響きました。簡潔に、確信をもってこのようなことが言えるのは只者ではない、と私は思いました。記事によれば、19世紀インドの聖者ラーマクリシュナという人物が、後に彼の一番弟子となったスワミ・ヴィヴェーカーナンダとの最初の対面時に話した言葉だということでした。ドイツでは哲学者のニーチェが「神は死んだ!」と声高に人間の知性と自由の時代を叫んだのと同じとき、インドでは全く逆のことが聖者の口から語られていたのです。この言葉がなかなか頭を離れず、私は山尾三省の著作を購入することにしました。

山尾三省の詩作、彼の口を通して語られるインドの思想は私の深い、深いところにまで届きました。このときまで、西洋の哲学者、思想家を私は幅広く読んでいましたが、東洋哲学、思想に触れることは稀でした。東洋のものを読んでも、吉本隆明や小林秀雄、近現代の日本の知識人や小説家の作品のみでした。老子や仏教思想をつまみ食いしたことはありながらも、西洋的な知性に傾倒していた当時の私には、東洋の哲学や思想は曖昧な言葉ばかりで実体がなく、ただの詩作、創作であるかのように映ったものでした。しかし、このときの私は山尾三省の本を読みながら、西洋哲学や科学的な方法が捉えることができなかった、2011年以来の長年の謎が、インドの聖者の智慧によって照らされていくのを静かに感じていました。

(文責及び画像はコウによる)

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