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【湧】人間の自然能力_No6

社会の通念や価値観、知識や情報によってがんじがらめになり、自然な自分を取り戻すことによってしか、人間の再生、地球の再生はあり得ない。

 「人間の自然能力」と題し、特に体に焦点を当てて考えてみました。既成の概念に最も左右されがちな意識から解放された体と、直に向き合うことの体験をご紹介していきます。

〈出席者〉竹居昌子 永沢哲 今村有策 家村佳代子 増田正雄本誌

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竹居  もっとはっきりします。それは私は毋を亡くしてもそうなんですけれど、それまでの母とのつながりというのは、どこか現身の面に表れたもの、しがらみ同士がぷつかって本当の母に触れていなかったのではないか、それが亡くなって初めて、こういう人だったのかとわかります。
 その中身が、現身の時にもどこかで予感できているから、我慢して付き合って
いたのですけれど、私の毋というのは、人を閉じ込める人なんです。集中密度が
強く、私一人しか子どもがいなかったものですから、なおさらでした。何とかそ
こから逃れたい、いやだなという感じがあったのですが、現実の中ではうまく波
風立たないようにやっていました。それが亡くなってみて、本当に今は直に迫っ
てくる。ものすごくいろいろなことを教えられる訳です。
 考えてみれば、お釈迦様だって時空を越えて会えるわけでしょう。『釈尊の呼吸法』(柏樹社刊)という本を読みました時、なんだ私と同じじゃないの、お釈迦様は私のまねをしていると一瞬思ったけれど、そうじゃない、向こうの方が先でしょ。私か釈迦に教えてもらっでいるのだ、どこかでたぶんインプットされているのだなとすぐに思いました。本当に。それは自分の中では理屈じゃない、事実なんです。それに、お釈迦様が吐いた呼吸の一部を今、私たちが吸っているのかもしれませんよね。
今村  チベット仏教では、死というものは大きいテーマだと思うのですが、竹居先生は。死んでからわかる、あるいは今、釈尊の呼吸があるかもしれないと言われる時、死というものをどうとらえておられるのでしょうか。

(「湧」1997年11月号 再掲)

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