『湧』<blog magazine> nishitakesi

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【湧】人間の自然能力_No5

社会の通念や価値観、知識や情報によってがんじがらめになり、自然な自分を取り戻すことによってしか、人間の再生、地球の再生はあり得ない。

 「人間の自然能力」と題し、特に体に焦点を当てて考えてみました。既成の概念に最も左右されがちな意識から解放された体と、直に向き合うことの体験をご紹介していきます。

〈出席者〉竹居昌子 永沢哲 今村有策 家村佳代子 増田正雄本誌

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今村  竹居先生はワークで、本当に自分で両足で立っているのかと。よくおっしやいますよね。竹居先生からその問いかけを受けた時に、僕は、自分は本当に両足で立っているのだろうかというところから始まって、自分は一体どういう世界に立っているのかとが、あるいは、例えば、今のこの雨音を、どこで僕は聴いているのだろうかと言った時の、細かな一つ一つの雨音とか、足で立つ、何かを指で触れる、何かを切るといった一つ一つの所作か、すべて大きな世界の意味や成り立ちというものにいつも触れていく
のを感じるわけです。竹居先生のワークをちょっと何分か受けただけで、一点がパツと突かれて開くように、僕はここにある、あ、そうか、こういうふうに世界は成り立って、僕はそこにいるのだと、僕は常に実感してゆくのです。
 例えば、整体をやっていて、それとつながるような体系か「ゾクチェン」の教えの中にあるということでしたけれど、その中に。今申し上げたような「問いかけと実感」みたいなもの、「ゾクチェン」の教えを受けられたりしている中に、そういう瞬間というのは、いっぱいちりばめられているのでしょうか?
 僕白身は、『クチェンの教え』を読んで、著者のナムカイーノルブーリンポチェの講演会に二度行っただけなので、あまり触れあっていないのですが、本を読んでいた時にはただなるほどと思っていたのが、実際にリンポチェにお会いした時に「この感じは何かな」というのがあったんです。

 竹居先生の話を伺っていて思うのは、野口先生と会った人というのは、そこで会った瞬間に何かがわかることがある。わかるというのは、意識の上でということもあるだろうけれど、身体のレベルですでに変わっていることがあるわけです。それが、それぞれの野口先生との関係、それぞれの縁のあり方によって、どう発現してくるか違ってくるのではないか。また、そういうご縁は、だんだん深まっていって、それはたぶん亡くなってから後も続くのではないかなという感じがするのですが、いかがですか。(続く)

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