『湧』<blog magazine> nishitakesi

読み物、情報を発信するWebマガジン

【湧】人間の自然能力_No2

 ”自分”なるものがいかに社会の通念や価値観、知識や情報によってがんじがらめになっているかということ、そしてそこから自由になった本来の自然な自分を取り戻すことによってしか、人間の再生、地球の再生はあり得ないのではないかということでした。

 「湧」では、この二つをつなぐものとして「人間の自然能力」と題し、特に体に焦点を当てて考えてみました。既成の概念に最も左右されがちな意識から解放された体と、直に向き合うことをされてきた方々の体験をご紹介していきます。

〈出席者〉竹居昌子 永沢哲 今村有策 家村佳代子 増田正雄本誌

f:id:jiyusha:20190707110943j:plain

永沢  一方愉気というのは。気功法でいう外気功に当たります。手のひらから気を相手に送ることと普通考えられますが、野口氏は〈感応〉ということを強調しています。ほがらかな気が送られることによって、相手の中の同質の気が目覚めるのであって、やればやるだけその力は強まるし。本物の愉気が行われるときには、自と他という境界はくずれおちるのです。

 活元運動も愉気も合理的思考ではうまく扱えないものです。率直に言って、僕はそういうことは全く信じていなかったのですが、インドから帰ってきて、人間は「何でもあり」だから、この際、やってみようかという感じで始めた。それが僕と整体との出会いです。

 僕はその後、チベット仏教にかかわるようになって。整体のことについては、しばらくあまり触れたくないと思っていました。どうしてかと言いますと、ある心の状態とか身体的な状態になっていくには、いろいろな道筋あるいはシステムがあると思うのですが、それをあまりゴチャゴチャに交ぜてしまうと、混乱が生じるのではないかという恐れを抱いていて、野口螫体のような身体的な方向からのアプローチとチベット仏教をいっしょにすると、混乱してしまう感じがあったのです。それでしばらくは整体のことは考えずにいたのですけれど、ただあまりに体がしんどい時には、電車の中で人目もかまわず、活元運動をするという感じでした。

 その後しばらくしてから、自分がチベット仏教で勉強していることと、その前に野口整体を少しかじってみたという事の間に接点、繋がりが見えてきて、そういう仕事をしてもかまわないかなという感じがしてきたものですから、少し野口整体について書くようになったのです。
 野口先生については、何とも言いようがなくて。これは天才というのもむだという感じがするわけです。実際活元運動や愉気というのは整体の全体の中では本当に入り囗に過ぎないと思うのですけれど、それをやっていくと、想像もしなかったような変化が心身に起こってくるし、それによって、人間の在り方とか生き方とか人間同士の関係の仕方がきれいに変わっていくような感じがあると思うのです。

(「湧」1997年11月号 再掲)Karin HenselerによるPixabayからの画像

最初はこちら

www.jiyusha.net