『湧』<blog magazine> nishitakesi

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【湧】縄文人の湧水

~人間の欲望と自然との共生とは。。。~

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 八ツ岳南麓の信濃境近くには、六千年の昔縄文人が住んでいた。縄文人がこの地域に居を構えた理由は、何よりもこの周辺には良質で豊かな湧水がたくさんあったからであろう。
 いま湧きでている水は、数十年前に山に降った雨がゆっくりと地層にしみて育まれ、やがて地表に溢れ出たものであるという。水の温度は一年中ほとんど変わらず、夏は痛いほど冷たく、冬は湯気がたっていて暖かく感じる。泉の水を飲むのがこの地を訪れる人々の楽しみのひとつであり、この泉の真下には森の神父押田成人氏の修道場・高森草庵がある。
 ところが今、この泉は乱開発で危機に面している。ある企業が泉の上方一帯をゴルフ場にしようと計画しているのである。この地帯の涵養林を伐り倒しゴルフ場にすれば、たちまち水の保持力が低下し、土砂や水が表面を流れ環境が変わっていくことは明らかである。その上ゴルフ場は除草剤、化学肥料などを大量に使うので水は汚染される。だが、泉の水が枯れたり、汚染されたりするのは数十年後になるだろうから、迂闊にしていると気づかずに子や孫の代が被害を受けることになる。
 最近、政府は内需拡大策として各地の開発景気を煽っている。ことにゴルフ場づくりは建設費と会員権の売買など二重三重のしくみで資金が動き、更に地元の生活感覚からみてもまとまった金や働き口を得るという手近かな富をもたらし、景気拡大にとって格好の材料である。
 このような情勢の中で、泉が人々のいのちにとってかけがえのない意味をもつのだということを、当事者に気づいてもらうにはどうしたらよいのだろう。押田神父の祈りが聞こえてくる。 (MM)(月刊「湧」1988年3月号再掲)HeungSoonによるPixabayからの画像