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【チベット:永沢哲】文明の21世紀モデル② ~チベットと未来~

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 中国、ペルシア、インドの大文明にはさまれ、それをくそ真面目に消化しながら、宇宙の真空の深い青に一番近い高地で、-実際、チペット人たちは、心の理想状態を、突き抜けるような青空にたとえてきたチベット人たちは、それを地球的でありながら、しかも、宇宙的であるような、メタシステムヘと変成させたのである。チベットの精神文明に触れるとき、強く感じさせられるのは、それがもっている、メイド・イン・シルクロードとしての性格だ。だが、それを単にシンクレティズムと呼んだのでは、ことの本質を見誤ることになるだろう。そのすべてを包みこみながら、しかもそれらのいずれにも還元することのできないメタレベルの何かが混沌の中から生まれているのだ。

 そんなチベット的な精神のあり方をもっともはっきり示しているのは、チベット密教ニンマ派(「占訳派」)を中心に相承されてきたゾクチェン(「大円満」)の体系である。チベットの西隣、オディヤーナ(現在の西北インド)から招来され、八世紀から行われた後期密教の最初のチベット語訳にもとづいて発達したゾクチェンは、徹底した実践重視の姿勢から、オーソドックスな学問仏教の祖述者だちからは、アカデミックな思考にはまり切らない、いかがわしいものだとして、すこぶる評判が悪い。実際、山奥の静かな僧院の中でよりも、人々の欲望の渦巻くバザールでの修行をこそよしとするゾクチェンは、ありきたりの仏教のイメージからはほど遠いし、政治と宗教が密接に結びついているチベットの中では、例外的とも言えるほど、政治から距離を置いてきた。それは、国家や学問の制度化された世界にはけっしてなじみきれないチベット人のいわば部族的な、あるいは遊牧的な意識のあり方に深く結びついているのである。

  ゾクチェン行者たちの多くは、苛酷な自然環境に生きアニミスティックな自然観を抱きながら、悪魔払いや息災の儀礼を求める庶民の要求に応え、流浪の旅を続ける流れ行者たちだったから、当然、薬草の知識や民衆レベルでのマジカルな文化に通暁していた。だが、その一方で、ゾクチェンは、人間の意識と宇宙の成り立ちについて、禅にも、インド密教にも見られないような修行法と、現代の素粒子論を思わせるような、高度かつ独特な哲学を練りあげてきたのである。ゾクチェン行者は。「具体的なものの科学」としてのシヤーマニックな野生の知性と、抽象的な真理の探究-しかも、単なる知識ではない、体験にもとづく実存的なそれ-とのたぐいまれな結合を、みずからの身体において、実現しようとしてきたのである。

 中国進攻後、多くのチベット人たちが、難民生活を送っている。人口密度の低いチベットとは異なる環境の中で、その精神生活のあり方にも徐々に変化の兆しが見られる。けれども、それを外から眺め、嘆いてみせたりすることには、「エキゾティックな神秘の文明」にうっとりするのと同じく、なんの意味もないだろう。その内側に入りこみ、自分自身を内面から変えることによって、チベット的な未来の可能性について考えること。その作業をつうじて、私たちは、21世紀の地球の文明の一つのモデルを描き出すことができるはずだと、私は確信している。

地湧社の月刊誌『湧』(1991年12月号)からの再掲(文責は永沢哲による)truthseeker08によるPixabayからの画像

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