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【コウ】スピリチュアルと知性主義_04

 この旅も半分が過ぎました。リシュケシュからバドリナートに続く道には合計で5つの川の合流地点があり、今はそのうちの1つ、カルナプラヤグという場所にいます。ここで私は最初の休憩をとることにして、この文章を書いています。バドリナートに続く道は山の中を行くので人影は少ないのですが、合流地点の周りには賑やかな町ができあがっています。インドの町に例外なく、騒音が日夜やまないので、ヒマラヤの山の中にいるような気がしません。沈黙が空気のように漂う日本から来た身としては、いまだにインドの騒音に慣れることがありません。
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 これまで日夜を通して、ヒマラヤの上り下りを歩き続けてきました。ヒマラヤを歩くというと、美しい自然に囲まれて悠々とハイキングをしている姿が思い浮かぶかもしれません。しかし、現実はその想像からほど遠いものです。

 写真からもわかるように、まるで北インドの山奥の鉱山に送られる坑夫のような気分です。夏目漱石の『坑夫』で主人公が鉱山に向ってひたすら歩いていく場面が思い出されます。しかし、道路工事や車の往来がないときは、ガンジス川からの涼しげな風が日焼けた肌に実に心地よく、生き返る心地がします。

 ここまでして何故に歩いているのか?1日中歩き通し、辺りが暗くなりはじめても寝床が見つからないとき、また、足裏があまりにも酷使され、これ以上痛くて歩けないという時などには、私も自分自身に問いかけるものです。元の世界に戻れば、快適で便利な生活がすぐそこにあり、社会的に意味がある活動の機会すら待っているというのに、なぜか?職業的な僧でもなく、寺や教会に属するわけでもなく、何の宗教的な身分もない自分が、この巡礼の道を何故に歩いているのか?

 端的に言えば、私は自分の修行のための師を探してヒマラヤに来ています。数多ある修行の伝統のなかから私はヒンズー教を選んだため、古代からヒンズー教の聖人が修行を重ねてきたヒマラヤ山脈へと足を運んでいるのです。後に紹介することとなりますが、雪の積もるヒマラヤには自然洞窟がいくつもあり、昔から修行者たちがそこに暮らし、修練を重ねているそうです。しかし、今でも本物の修行者がヒマラヤにいるのか?そして、たとえ本物の修行者がいたとしても、私の前に姿を現して、教えを伝えてくれるのか?これはひとえに神のみぞ知るところですが、教えを伝授されるのに相応しい者となるために、私は日々歩いているというのもあります。これらの点に関して、後に再び書きたいと思います。

(文責と画像はコウによる)

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