『湧』<blog magazine> nishitakesi

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【コウ】スピリチュアルと知性主義_03

 もちろん信じるといっても、検証を抜きにして信じられるものはありません。理性は慎重者であり、説得の補助を受けなければ歩を進めてくれないものです。これを怠ると、理性は疑いという名の石を吐き出して山を作り、道を邪魔する障害物となってしまいます。
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理性の目が一度でも覚まされれば、お喋りは止まることがありません。一度目の覚まされたものは、正しい手段を講じなければ、その限界に私たちを閉じ込めようとします。どれだけ哲学者が考えるなと言おうとも、考えてしまう理性がそこにあるのです。このお喋りな理性をどのように黙らせて道を進むのか。これは言い換えれば、知性や理性の限界をどのように超えるのか、超えた先に何があるのかという問いでもあります。

  この過程にはある種の危険も当然ながらあります。一般的な「スピリチュアル」という括りに当てはまる事柄には、この危険を匂わせるものがたくさんあります。理性や知性の限界を超えようとする傍ら、それらの働きがもつ防衛作用も犠牲にされてしまうことがあるからです。物理的な因果関係、証拠や論理を求める精神というのは、迷信や虚偽の信仰から人間を自由にしてくれたものでありました。理性や知性の恩恵、また、その範囲外に出ようとするときに伴う危険性は十分に理解されなければなりません。このために理性や知性の限界を知ることは「スピリチュアル」な探求においても不可欠であるのです。

 私の旅の話に戻りましょう。明日の午前中、私は250キロの道のりを歩み始めます。この旅路を歩む途中、また、おそらく目的地に到着した後も、みなさんと連絡をとらない状態が長く続くはずです。その理由は後に説明されることでしょう。連載という形を通して記録を残すことで、何かしらの繋がりを保てればと私は考えました。文章は公にもされますが、親しかったみなさんを念頭に置いて、私は書いています。これから何回かに分けて、上に書いたような事柄を追いつつ、インドでの体験や学びも書いていくでしょう。私を思い出したときにでも記事を読んでください。それでは明日も早いので、今日はこれくらいで。

(文責と画像はコウによる)

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