地湧社『湧』<blog magazine>

地湧社の読み物、情報を発信するWebマガジン

【コウ】スピリチュアルと知性主義_02

 反動的になった私は、文字通り探求をやめました。いわゆる現実世界の要求を甘受して、これまでの自分の血と汗を、手の届くところに生えていた果物と交換してしまったのです。もちろん、この選択にも理由付けはありましたが、自分が諦めたのだということは心の底でわかっていました。しかし、これは完全な諦めではありませんでした。なぜなら、完全な諦めとは死を選ぶことであり、自ら死を選ぶためには、ある種の確信が必要とされるからです。このときの私は全ての確信というものから遠い場所にいました。絶望するには私の懐疑心、否定と批判の精神はお喋りすぎました。疲れていた私は、風の流れるままに任せようとしたのでした。
f:id:jiyusha:20190407095130j:plain
 しかし、諦めの場所に私が長く留まることはありませんでした。かつての私を探求に向かわせていた声が聞こえてきました。この声は私の中の良心とでも言うもので、良心は自らに与えられるべき報酬を求めていました。すぐ手の届くところにあった果物では、良心は満足することがなかったのでした。すでに自分は諦めたのであって、この世界に良心が求めるような報酬はないのだと私が語ろうとも、良心は聞く耳を持たないようでした。良心の要求は日に日に強くなり、あるときには耐え難いほどになりました。それから私は再び荒れ野に戻りました。しかし、あいかわらず失望感と挫折感は拭いきれず、どちらに進んでいいのかわからない状態は続きました。あちらこちらを彷徨い私は出口を探していました。

 ついに道を見つけたのはインドでのことでした。長い、長い洞窟を抜けると、ようやく光が遠くに見えたのでした。このように書くと、まさに私が躊躇していた「スピリチュアル」のステレオタイプに当てはまるように聞こえるかもしれません。しかし、ここに至るには挫折と失望があり、それらを通してはじめて、人生の他の選択肢が与えうる報酬の価味も知ることもできました。そうして私の良心はこの価味に満足することも許しませんでした。道を歩むという決定がされたあとも、理性や知性からの抗議は声高になされました。しかし、疑い、否定だけすることに私はすでに疲れていました。信じるためのときが訪れたのでした。

(文責・画像ともにコウによる)

※毎週 月曜日 AM7時更新


 

blog.hatena.ne.jp

jiyusha.hatenablog.com