『湧』<blog magazine> nishitakesi

読み物、情報を発信するWebマガジン

【湧】水感覚

 ~中国で切傷を水道水で洗ったら、膿ました~

f:id:jiyusha:20190314230746j:plain

 近頃は、生活の中で手を加えた飲み物が多くなって、水を飲む機会が減っている。身のまわりにはありとあらゆる商品化された飲みものが氾濫し、食生活とともに飲み物のし好も大きく変化している。緑茶、紅茶、コーヒー、ウーロン茶、ジュース類、酒類、健康飲料など、多様化した飲料がなだれ込む。水だけで一日を過ごす人は、皆無ではなかろうか。

 このように水と直接対話する習慣が少なくなるということは、水の質を維持していく上で、甚だ危険なことのように思えてならない。

 地方から都市に出てきたら、都会の水が悪くて顔が洗えないと嘆く女子学生がいた。水がまずくて飲めないというのは分かるが、洗顔できないとは、少し過敏すぎるのではないかと思っていた。ところが、私自身がアメリカのカリフォルニアに旅したとき、そこの水はいやな違和感があって、入浴はおろかシャワーを浴びるのさえためらった。ワシントンでも同じ経験をした。そこに住む人は平気なのだろうが、慣れは恐ろしいものである。考えてみれば、私達日本人は、各地の温泉の味の違いを皮膚感覚で楽しんでいるし、同じ水であっても薪で沸かした湯は、肌に優しく気持がいいと言ってきた。

 たしかに我々の感覚は鈍磨し、同時に良い水が次第に姿を消してゆく傾向にある。

 私は、水の良し悪しを峻別選択するのに、先の女子学生のように皮膚感覚を起用することを提唱したい。舌先(味覚)だけの都合で、良い水が失われてゆくことがないように。(MM)

(月刊「湧」1986年7月号 再掲)