地湧社『湧』<blog magazine>

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コウ

【コウ】スピリチュアルと知性主義_13

リベラルアーツ大学で西洋流の批判的思考、論理的思考を学び、西洋哲学を専攻した私がインドの智慧に見出したものは何だったのか?それはサルトルやハイデガーなどの西洋の実存主義哲学、また現象学が目指していた世界の、完成した姿だったと言えるでしょう…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_12

私の最初の行き先はインドに決まっていました。このときから既に4年半前、大学一年生の夏休みの2013年7月に、人生ではじめて私はインドを訪れていました。そして一ヶ月半の滞在の終わりが近づいていたとき、私の人生を根底から変えた事件が起こりまし…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_11

それから四ヶ月後、私は投資会社を辞めていました。会社では労働環境、待遇、上司にも恵まれ、物質主義的な世界に関する経験と知識は日毎に深まり、表面的には辞める理由はどこにもありませんでした。私の生活は満たされていたものでした。就業からしばらく…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_10

リベラルアーツ大学での学びはたしかに知性を鋭く、その働きを旺盛にしました。しかし、確固とした信条があってはじめて、知性は真価を発揮します。前提を疑い、構造を露わにする知性はいかようにも使える道具にしか過ぎず、信条が脆ければ、旺盛な知性は持…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_09

標高が上がるにつれて風も冷たくなり、蛇のようにくねりながら延びる坂道を登れば、雪に包まれたヒマラヤの山脈を両脇にして、小さな町が見えてきます。標高は3100メートル、旅の目的地のバドリナートに私は到着したのでした。チョーター・チャールダー…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_08

大学の4年間を通して、私は次のことを知りました。学びを深めれば深めるほど、確かに知り得るものなどはなく、個人が知識として得ることができるのはごく限られた小さな領域なのだと。後の世の情勢にも現れるようになることでしたが、どれだけ研究者の努力…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_07

次の進路を探しているうちに、私はアメリカのリベラルアーツ教育について知りました。いわゆるアメリカの名門大学では、全人的な教育、人間的な側面を十分に伸ばすことを理想とした教育が行われているのだということでした。そこではスキルの養成や就職より…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_06

修行といっても、何を目指しているのか?これは短く答えるのが難しい点です。文字や数字などの表象からの伝達に依らない、解釈の余地を挟まない真実を求めている、とでも言えばいいでしょうか。 この真実は特定の宗教や宗派を超えて、全て真の宗教、哲学、そ…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_05

もし、私に「普通」でないことがあったとしたら、中学生くらいの頃から、私が考え続けてきた問いかもしれません。私たちはいかに生きるべきか?いかに善く、美しく、真実に近く生きることができるか? そのための知識、導きはどうやって手に入れるのか?これ…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_04

この旅も半分が過ぎました。リシュケシュからバドリナートに続く道には合計で5つの川の合流地点があり、今はそのうちの1つ、カルナプラヤグという場所にいます。ここで私は最初の休憩をとることにして、この文章を書いています。バドリナートに続く道は山…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_03

もちろん信じるといっても、検証を抜きにして信じられるものはありません。理性は慎重者であり、説得の補助を受けなければ歩を進めてくれないものです。これを怠ると、理性は疑いという名の石を吐き出して山を作り、道を邪魔する障害物となってしまいます。…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_02

反動的になった私は、文字通り探求をやめました。いわゆる現実世界の要求を甘受して、これまでの自分の血と汗を、手の届くところに生えていた果物と交換してしまったのです。もちろん、この選択にも理由付けはありましたが、自分が諦めたのだということは心…

【コウ】スピリチュアルと知性主義_01

こんにちは、コウです。この文章は日本かアメリカ、世界中のどこかで私が出会い、特に親しくなった人たちに向けて書いています。ヒマラヤの山頂に向けての旅を明日はじめるにあたり、みなさん宛てに文章を書くことにしました。今は北インドのリシュケシュと…