『湧』<blog magazine> nishitakesi

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【湧】意識のつながり

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 今年の世界の変わりようは激しかった。東西ベルリンの壁が突如として取り除かれたことに、世界中の人が度胆を抜かれた。また、南アフリカでは、初めての選挙が行われ黒人側が多数を確保するなど、地球上人間の住むいたる所が急変している。
 筆者もこのところ、海外に出掛けることが多かったので、行く先々で社会的な激動を体験した。北京には天安門事件の直前直後に訪れ、リトアニアでは独立運動の熱気が噴出していたし、アメリカインディアンを訪ねた時は、折しもローマ法王が過去のインディアンへの偏見政策を詫びるため訪米していたり、ペルーでもゲリラ活動によって旅行予定が変更されるなど、先々で思いもかけない社会変動に出会った。このような歴史の変化に人々の意識がついて行けるのかと心配になるほどだ。
 こんな話を聞いたことがある。過去に芸術や科学における創造発見で大きな変革が起きた時、遠く離れた所でお互いには何の連絡も脈絡も無いはずなのに、同時期に類似の変化を起こしていたという。地球を一つの意識体であるとみなす発想からすれば、当然なのかもしれない。
 近ごろ人間と地球や宇宙を一つの連続意識体と考えざるを得ない現象が多い。とすれば社会現象の変化と同時に、われわれ個体の意識も二重奏のように同時進行で変容が起こっていても不思議はない。いま経済、社会学者は根本的なところで法則が見失われ、とまどっているというが、世界で起こっている現象を見るよりも自分の内面をじっくり味わってみる方が早くて正確にとらえられる時代かも知れない。「湧」の来年のテーマは「自分になる」となった。(MM)(月刊「湧」1989年12月号再掲)

【チベッタン・ヒーリング:梅野泉】No16_父の世界、母の世界、これからの私の世界。すべて夢だとしても、生き直すことを選ぼう。

人生の後半を考えるとき、私たちは生まれ育った文化的な土壌から何を得、何を捨てる、か、を問うとよい。どう生き直すか、である。結局のところ、五大元素のバランスをどう意識しているか、に尽きる。その軸が決まれば、おのずと生き方は決まってくる。
はやい話、私は、22歳で親と親にまつわる社会を捨てようとした。当時は、チベットや仏教とも無縁。今よりさらに無知で、頼るところは自分の幼く危うい感性だけであった。
いまから思えば、既存の社会に反発する怒りの「火」と生きていることの哀しみを抱えた「水」、物憂く重い「土」を、自分を奮い立たせるために気持ちを恋に駆り立てることで「風」を起こして吹き飛ばそうとしていた。感性にだけ頼ることがどんなに危険なコトであろうとも、目の前の波はなんとかして乗り切るしかなかった。生田春月、芥川龍之介、太宰治、パスカルなど自殺した芸術家の死に至る経緯を念入りに調べ、シュルレアリズムの運動や、マルドロールの歌、実存主義、ル・クレジオにも憧れる半端な学生時代を焦りと不安の中で過ごした。そして夏の、草いきれ。清泉寮の合宿で知り合った人と卒業を前にさっさと結婚した。その人は身体的な障害があり、有名人の私生児でもあったことからか、父は猛烈に反対した。

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カルカッタ時代の父

父親は当時外国為替専門の銀行員で、家父長制のシッポを引きずっていた。母は、非凡なほどのおおらかさと洞察力、さらにはあきらめの精神が同居する人で、自分のことを事あるごとに「私は鬼です」と語った。そしてこの結婚のことを「無自覚であったゆえの宿命」と受け止める才能にも恵まれていた。そのうえ、父に「出世してはいけません、人間が堕落します」、と言い続けていた。

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父と母の後ろ姿

父は私が生まれて間もなくカルカッタに単身赴任となった。そこで文化人類学者の中根千枝さんのインドでのリサーチに協力することになり、帰国後も親交があった。神戸の女子校から東京の大学に入学することが決まると、中根さんは父を通して、内に下宿しないか、と言ってきて下さった。学問の世界を垣間見ることや、中根さんのご母堂の話し相手をさせてもらえることはこの上なく喜ばしいことに思えたが、父の世界から逃れていたいだけの理由で、大学の女子寮を選んだ。この時、私はチャレンジに向かう「風」の軽さと「火」の創造性を拒んでいたのだ。
父は98歳で亡くなった。両親の暮らしがどうにも2人だけではたちゆかなくなり、他に選択の余地がなく、私は両親の介護のために生活を共にした。それまでの長い年月、私は自分の道を探そうとサムサーラという大海を泳ぎながら、遠慮がちに両親と付き合ってはいたが・・・もうすっかり人生の苦さを知った年となり、認知症の父と、骨折から肺に水がたまるまでに症状が悪化した母と10年間24時間、彼らの晩年の一瞬一瞬をこの胸に移し込んで収めるかのようにして暮らすことが出来た。
それは胸に巻き込んで収めた10年分のフィルム映像だ。悲劇と喜劇がないまぜになった極彩色とモノトーンが入れ代わり立ち代わりあらわれる、地獄の日々と極楽が隣り合わせの記録だ。
父は認知症の兆候が出始めてから、自分を語るようになったのではないか、と私には思えた。そして、こう言ったのだ。「銀行には入りたくなかった。語学や美術がやりたかった」と。若い頃、バスケットボールのキャプテンだった話もよく聞かせてくれた。いまでいう国体に出た時の話、実に楽しげだった。
死の3か月前ほどからは、こっちが膝を打つような面白い言葉をたくさん聞いた。懐かしい船場弁があふれ出ていた。
「お迎えが来るんとちゃう、行くんや、こっちから、行くんや」と明るい顔で力強く前方へと手を伸ばして言っていた。まるで、死を、こちらから捕まえに行くようなしぐさだった。そのしぐさを、私はもう一度見た。もうすぐにでも息を引き取ろうとしている父を私は息を凝らして見守っていた。その時だ、父は、ベッドに横たわる全身体から力を振り絞るように手を高く掲げ伸ばし、空中で何かを掴もうとしていたのだ。「こっちから行くんや」といわんばかりに。それが、最期の動きだった。
夢のごとく、とはよく言われるセリフではあるが、両親の介護と看取りを通して、この生が夢以外の何物でもないことをはっきりと見た。五大元素の認識は人生の質を、つまりは、この夢の質を時空を超えるほどに高めてくれる。あなたもダキニ、私もダキニ、なのだ。(意味不明な方は、NO14をお読みください)
そのことをまた改めて書きたいと思うが、残念ながら、このブログは出版社の事情で今回で終わることとなった。最後までご愛読いただいた皆様、ありがとうございました。ご感想など寄せていただければ嬉しいです。地湧社の増田さん、ブログ担当のBMさんには大変お世話になりました。パソコンが苦手の私がブログなど書くことになるとは思いもよらないことでしたが、この機会をいただけましたことに心より感謝します。

 

チベッタン・ヒーリング―古代ボン教・五大元素の教え

チベッタン・ヒーリング―古代ボン教・五大元素の教え

  • 作者: テンジン・ワンギェルリンポチェ,Tenzin Wangyal Rinpoche,梅野泉
  • 出版社/メーカー: 地湧社
  • 発売日: 2007/08
  • メディア: 単行本
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