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【ポエタロ:覚和歌子】「口紅」ショートショート・エッセイ 

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真っ赤なルージュは飲食時も接吻時にも着替えのときにも明らかに不便。

結婚式にも入社式にも成人式にもほぼ相応しくないし、真冬の唇が乾くときにも真夏の海で泳ぐときにも役に立たないどころか、崩れたときのややこしさはほとんど取り返しがつかない。

濃い化粧をしそうな演歌歌手やホステスさんでも自分に似合うものを知っているおしゃれな人は滅多に使わない。

にもかからわず口紅といえば真紅が代表。

なぜだ。

ニンジャとゲイシャが日本文化の代表みたいなものか。

ちがうか。

(ポエタロガーデン 再掲)Claudio_ScottによるPixabayからの画像

 

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【コウ】スピリチュアルと知性主義_11

それから四ヶ月後、私は投資会社を辞めていました。会社では労働環境、待遇、上司にも恵まれ、物質主義的な世界に関する経験と知識は日毎に深まり、表面的には辞める理由はどこにもありませんでした。私の生活は満たされていたものでした。就業からしばらく経ったとき、私を訪れた気づきが辞職のきっかけとなりました。それは、当たり前のように聞こえるかもしれませんが、人間の生き方と考えること、そして知ることは、決して切っても切り離せない関係にあるということです。

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どのような社会的立場ーー会社員、教授や医師ーーに自分があろうとも、問い、考え、学んでいく行為は独立して続いていくものだろうと、学生の私は無邪気に考えていました。様々な職業を選んだ過去の作家たちが私の念頭にはありました。しかし、働くにつれて、自分の生き方と考えること、知ることを器用に分けることなどは、自分にはできないということに私は気が付きました。取り返しのつかない個人の存在の重さが天秤に賭けられてはじめて、いくらでも替えがきくような言葉や考えに現実での場所が、実体が与えられるものだったのです。個人が生き、考え、知ることは取り返しのつかない、一度きりの大きな賭けなのでした。賭けることなくしては、言葉はただの言葉、考えはただの考え、空っぽの象徴の域を出ません。このときはじめて、詩人リルケ、哲学者ニーチェの言葉の意味を私は理解したのでした。「書籍は空虚である。重要なのは血である。血を読む目がなくてはならない。」

これはつまり、資本主義の中心、現代の物質主義的世界の上澄みの部分で生きることを選んだ私は、その生き方の重さの分だけしか自らの考え、言葉に価値を与えることができないことを意味していました。それも重さといえば重さではありましたが、生を、世界を表すためには軽すぎることは疑いようがありませんでした。賭けた生の軽さに私が慣れれば慣れるほど、私が考える、知ろうとする行為は、その価値を同じようにして軽くしていきました。そこには社会的立場に基づいた損得勘定や保身の誘惑があり、考えること、知ることに対する妥協、嘘がありました。表面上は同じ行為に見えたとしても、その先の行き着く地点は真実の遥かな深みからは遠く、ほどよく心地よい浅瀬の水辺であるのは明らかでした。長年のあいだ求め続けていたものの深みは、存在の全ての重さを賭けるようにと私に要求していました。

また、どれだけ物質主義的な理解を深めようとも、その知識がもたらす自由はごく限られたものであるということを、徐々に揺るぎない事実として私は認識するようになっていました。物質的な側面のみに人間の関心が奪われている限り、互いの間に格差を作ろうとする人間の心は変わることがありません。他者と自分との比較、競争によって存在意義を得ている人間の本性が問題とされなければ、どれだけ平均的な生活レベルが向上しようとも、本質的な格差は存在し続けることでしょう。一方で、比較と競争を生み出す本性を否定して人工的な平等のシステムを作り出そうとすれば、抑圧された本性が暴力的な力に変わるのは過去の世紀の歴史が示すとおりです。

これらの事実を慎重に考え抜いた末に、私は会社を辞めることにしました。これは簡単な決断ではありませんでした。学生時代に教えを請い、私が尊敬したアーティストがかつて言った言葉が思い出されます。「あなたを囲んでいる枠は学生時代になるべく外して、広くしておきなさい。社会に出れば、必然的に枠は数を増やすし、囲いは小さくなる一方だから。」すでに入社時点で私は自分自信を小さな、しかし頑丈な枠で囲むことをはじめていました。辞めようとした時には、世間体、高い給料、何重もの枠が、既に私をとり囲むようになっていました。

なにより、アメリカまで渡ったにもかかわらず実りのなかった探求の記憶は新しく、失望と諦めが消えない跡を残していました。物質主義の世界以外に何があるというのか?これ以上に何を求めるのか?学問の世界を見限ったならば、どこに真実を求めようとしているのか?絶えず聞こえてくる疑いの声にかかわらず、私は投資会社での仕事を去りました。真実のために全存在の重さを賭けること以外は自分にはできないのだと、迷いと混乱の中ながらも、私には少しずつわかりかけていました。そして、今はそれがどこにあるかはわからないものの、真実から遠くなっていると思えること自体、どこかには真実がある証拠だと私は思おうとしました。この生を、世界を生きて、考え、知るという賭けの結末を、どうしても私は諦めることができなかったのでした。

その後の一年以上の間、次の道を探し求め、様々な職や居場所を私は渡り歩きました。この期間は私にとって辛い試練の時期となりました。潔く投資会社を辞めたのはよいものの、次の道の当ても全くなく、探求の期間が長引くにつれて見通しは暗澹としてきました。大人しく投資会社に残っていればという常識の声は日に日に高まり、何度も第一の山を登り直せという誘惑が私の頭をよぎりました。また、一度ぶれてしまった自分の軸を取り戻すのは思いのほか難しく、私はいくつもの誤った選択もしました。この期間の経験のどれもが自分を満足させることなく、アメリカの大学院進学という最終選択肢が頭の片隅にちらつき始めたとき、私は日本を離れて長い旅に出ることを決心しました。

(文責及び画像はコウによる)

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